昭和の日本が高度経済成長をむかえる中、1967年4月1日、永田裕保は鉄鋼と材木の町、大阪市大正区で生まれました。市内の公共交通が、市電からバスに切り替わった頃でした。私が3才になった1970年、太陽の塔で有名な万国博覧会が大阪で開催されました。混雑していたことと初めて見たモノレールだけは覚えております。内容はかすかにしか記憶にありません。
住んでいた場所は、小林という地区で、材木屋が多くあり、私の家も材木屋でした。周辺には丸太を浮かべる運河があり、材木橋とよばれる橋が架かっておりました。
煙突から黒い煙が上がっているのが、経済発展、産業の象徴と言われた時代、今では考えられないことですが、小学校の校歌の一節に、『空いちめんの黒煙』という歌詞があるくらいでした。
大阪の西の端に位置し、海抜ゼロメートル地帯のため、台風の度ごとに洪水に見舞われたようです。そのため、何度か地上げを行い、現在の状態となっております。
今と違い、周りには背の高い建物は何もなく、写真をみると、ここはどこ?戦後復興期の日本?というような所です。




