何も考えずに地元の大正中央中学校へ通っておりました。名門?迷門?よくわかりませんが、和気藹々とした小学校とは違い、とっても刺激的な学校でした。校内暴力まっただ中でしたね。グラウンドで遊んでいると窓ガラスが飛んできたり、入学式、卒業式に、警官が外で警備していたこともありましたね。授業中先生が、『今日は入りが悪いなあ〜』と嘆かれることもあったような気がします。
ちなみに、私はきっちりと前を向いて着席しておりました。それだけで、立派な行いだったようです。そんな感じの楽な学校でした。休み時間も長かったですね。だって、生徒が帰ってこないんですから・・・。
初めての受験でした。府立大手前高校へ進学しました。距離は遠く、50分もかかりましたが、すばらしい高校でした。ただ、あまりにも楽な中学時代を過ごしておりましたので、ギャップが激しく、慣れるまでしんどかったです。みんな前を向いて、話もせず、きちんとノートを取っていたのです。話しかけても、誰も相手をしてくれないのです・・・。高校時代の思い出は、冬の耐寒マラソンをしたことです。場所は大阪城の堀を走っておりました。
高校生活にも慣れ、文系理系に分かれる時期に、迷いなく理系を選びました。理由は理系の科目が好きだったからです。
進路を決断するとき、当初自分の偏差値で可能性のある大学の赤本をぱらぱらめくり、学部情報を読んでおりました。その中で、興味を引かれたのが、大阪大学工学部の発酵と、大阪大学歯学部、大阪市立大学医学部、京都大学農学部でした。
バイオと言う言葉がブームでしたし、おもしろそうな分野だったので迷いましたが、決め手は、卒業後のことでした。当時、医者・歯医者なら独立、それ以外ならサラリーマンしかないと思っていました。企業に勤めるとなると、大きな組織の中で自分のやりたいこともできず不満の残る人生になってしまうのではないかと考えました。今から思えば、起業して、独立、社長という道もありますよね。
しかし、高校生の私には、以上の様な思考回路しかありませんでした。要するに自分の力で、自分で事業を興したかったのです。幸い、手先が器用な方でしたので、それを行かせる仕事がしたいというのもありました。そして、結論が歯学部です。
当時、共通一次試験があり、二次試験の大学も1つしか受験出来ませんでした。共通一次試験は大変リラックスして受けることができたのは良いのですが、お弁当を食べてからの英語が眠くて眠くて・・・。長文の同じ所を何回も読んでいました。
結果は失敗です。合格点から大きくはずれておりました。学部の変更も考えましたが、歯医者になるとの意志が変わることはありませんでした。そこで、大学の変更を検討したのですが、だめで元々、大阪大学歯学部で一発勝負にかけたのです。結果はラッキーにも逆転満塁ホームランでした。そのようにして大学が決まりました。


